日の国や月の下

重呪闡明

月に枝豆、危機に猫。(ミケランゼロ)

……無為にして化す、戯奴[ワケ]もなく……。
日月[ヒツキ]は永代[エイタイ]の主客[シュカク]にして、逝き交う時──と継げば森羅[シンラ]と黄泉[ヨミ]、万象[バンショウ]空[クウ]に及んでは、人に映ろう、人は移ろう……。
あ、わかった。『僕の細道』、ぷぷっ。 違う。 わかってるって、おこんなよ。ったく、『奥の細道』だろ? 違う。 あ? じゃあ、一体何だよ? ……「踏めば我が道」だよ。 あ?
酒席を立つ段になっても代り映えのしない、変り、栄[ハ]えようともせずに繰り返される交感の、興の醒め際の汝[ナレ]を惹いては励起[レイキ]する、天地身命に亙[ワタ]る雷雨、或[アル]は、五官に隈[クマ]なく揺[ヨ]り来[キタ]る「なゐ」、古くより彼方へと、かつては、兼ねて詠み、あまねく神祇[ジンギ]にかかるとされた万事一切も、問うにもはや互換の利かぬ──そう、それは聖後光も輪をかけた唯一の曳航[エイコウ]、不可視触れ得ぬ法線条の理[コトワリ]を意とし、うぶな黎民[レイミン]の数多[アマタ]を傀儡[カイライ]とする口実を手繰[タグ]り寄せたが起縁[ギエン]の先途凋落[センドチョウラク]──昼夜死に物狂いの首[シュ]は堕ちて、窮[キワ]む治世[チセイ]の瞬きもいずれ権謀術数に明け暮れて了[シマ]えば霊廟[レイビョウ]の裔[スエ]、その直系、類縁が用いる方便ではなくなりつつあるのか、一帯に幾年[イクトセ]を要して、今過ぐ来[キタ]る現在[イマ]、人の三世[サンゼ]も時あればこそ同時にはあらねど、その癖その同じ時の並[ナ]む人と間[アワイ]とに、待つ碑を刻む一大事ある毎にまた問うや──後の祀[マツ]りに彼[ア]の日が墜ちて、早晩頭寒煩熱[ズカンハンネツ]のおしへ……となり、朧に昇華した血涙[ケツルイ]の金気[カナケ]に蒸した焦土を復讐[サラ]いながら、自他ともに嗅ぎ分けもつかぬ屍臭[シシュウ]の叫喚[キョウカン]より踏むほかない阿鼻〔アビ/avicii〕を庇い立てては、馥郁[フクイク]たる功[コウ]を焚き占めるように、もう放念なさい、と文書[フミ]にまで記して自失を促しかける一方で、喧々諤々[ケンケンガクガク]と罪過[ザイカ]を問うては混淆[コンコウ]し、説くのはわずかばかり──それでも他人[ヒト]といて、なろうことなら、と幾重[イクエ]にも心破れたその倫[ミチ]で器[ウツワ]を鋳[イ]直すこと夥[オビタダ]しく、現場[ゲンジョウ]の劫火[ゴウカ]を前に妄染[モウゼン]とけしかけもするその刹那[セツナ]、義憤に満ちた釉役[ユウヤク]の火影[ホカゲ]姿に垣間見るのは、戦々怯打[キョウダ]すること人一倍、憔悴[ショウスイ]しきりの及び腰ほど否諾[イナセ]な善為[ゼンイ]、余熱[ホトボリ]も冷めやらぬ中[ウチ]から我先と飛び退[シサ]っては安易に溶けて暗に恥じ入る、その死に様の方は決して他人[ヒト]には見せはすまい──葬歌……鳴る程、それは道理で、そのようにあるわけではない。
何考えてんだ? ……考えては、ないよ。 あ? お前だろ? 考えていたのは、そして、考えているのも。 あ? しらばっくれんなよ。 …………。 そういうコトなら──左様なら、か。
神酒[サケ]を飲んでも一人、といつか何処かで誰かに詠み遺された空咳[シハブキ]の余韻が冷水[ヒヤミズ]を打ったような静けさを渡りきる間もないうちに、いつしか、彼[カ]の友人は席を立っていたのだった。凡[オヨ]そ祖の善後[ゼンゴ]を振り返りもせず、外は雨だった、とだけ記憶している夜の末に、少なからず取り残された人間は、皆そうしていたのだった、いや、そうしているのか、と、それがもう立った瞬間[イマ]のことで、何しろ果してそうだったのだろうかと、もう何年も、幾十年も以前[マエ]のようなことで、そう言えばそうなのだろうが、とそう言うことで、そうなることも、あるのだろうか、と、あったのだろうか、と、併[シカ]しそれがたといどうあろうとも、矢場[ヤニワ]にそうあらしめんとする、或る境を踏み越えた人間の、孤立無援の彷徨ではないのか、そうだ、現に彼奴[アイツ]は恐らく孤独[ヒトリ]で、あらかじめ此岸[ココ]に有り、皮肉にも相見[アイマミ]えること等し並に砕けた斯[コ]の己[オレ]の、造作の一[イツ]も奇骨[キコツ/キ・コチ]無く綴り居[ヲ]る月並な朋友[トモ]とも仇名す役回りの因果な事に託[カコ]つけた上での聴き不精[ブショウ]、からの、煮え切らぬ、というようにも取れないこともない、実のところはよく熟[ウ]れた生返事の数々、その内幕に宿したそれなりの覚悟を、結局は互いに、確かめ合うことを主として顔を会せていた、そして背をも向け合って別れた、やがて、記憶をのぞいては、見えなくなっていた……。何処へ行くでも、何かに献げるでもない酒を飲み続けては酔いはじめ、程よく正体を失いかけては埒[ラチ]も無い想念に、それでも持合せの言葉を吹き寄せもすることによって、自ずから彼我の生じ得る閾[シキイ]の杜[モリ]の内辺[ウチ]に、踏み留[トド]まろうとしているのか。時に見えなくなった他人[ニンゲン]に向かって思いを廻[メグ]らすということは、やはり何処かでその人間に近づいており、また似て来るようなところがある。真似て、己自身さえ、映し出す、似姿のような。それは子の心身のうちの、どちらの話で、あったのか。たとえこの肉体が精神を介さずと雖[イエド]も、と言うのも、この精神は肉体を介するより他にないのだろうが、その一方で、肉体の方が、この精神を介さない、ということはある、として、仮にもその時この精神は、片や身の裡[ウチ]で在りながら、一体何処にどう存[ア]ると言うのか、それは「イツ」で、有り得るのか。酔いに乗じた精神は軈[ヤガ]て、自らの肉体をも気には掛けなくなっていく、酔いが廻[マワ]り切ったのならば尚のこと、終[ツイ]には解[ホド]けて、詰[ツマ]るところ泥と変らぬ肉体が、そこにある。精神は跡形も無い、ただ残された其、その外[ホカ]、野、背、精神が、それを引き継……ギ……アカ、巣……鳥と……目、モ……名……苦ッ!!──ということで、酔いと眠りから覚めて見ると、得体の知れぬ女(?)の肌着に口鼻[コウビ]を塞[フタ]がれ、窒息しかけていたのだった──って、ったく、なんて日だ(頭痛い)。
……あの、ちょっと……。 ……え……あ、何? 誰……ですか? 客……だったはず、なんだけど……今わ、違うかな。 え?……何なんですか? いや、「ねこ」が……。 え? 猫?
その人──たぶん人間[ヒト]だろう──は寝た子を起こしに来たのだと言った。だけど、被っていたネコを脱がされたわたしはもう正体も失くして……その瞬間の最期にヒトコト、「もう一度、わたしを月まで連れていって……」とだけ。
彼女──理由など認める以前にそう見做[ミナ]していた──は私に声を掛けられて起き出すと、こちらを睨め上ぐ[ネメアグ]訝[イブカ]しげな表情を維持したままで休憩室の洋卓〔table〕に俯[ウツブ]せていたジョウタイを訳も無く立て直シソの意住[イズ]まいをもとい質[タダ]そうとして見せたので、よもや神隠しに遭うわけではあるまいに、と謂[イワ]れ無き嫌疑を突き付けられた私が猶[ナオ]も先手を取って此[コ]の物語の因[ヨ]って来[キタ]る由縁を実にコンパクトな寸鉄の如き金言[コンゲン]に錬成した上でそれをまた小息[コイキ]な韻律にも乗せながら呪文の如くに唱えもして踏み届けその胸を衝[ツ]き返すと、それを受けた彼女はそれまでの自浄自縛の三業[サンゴウ]に塗れた形骸を一時[イチドキ]に解[ト]いたのか知らんがその表情は如何[イカ]にも晴れがましくなっており俄[ニワカ]に雲間を満たし溢れる光のように輝き出して、それもまたこれまでの過重に打ち拉[ヒシ]がれていた故の反動なのか、「ゲンザイ」の軛[クビキ]より解放された人間宜しく元の自由を取り戻した歓喜[ヨロコビ]を一心にまた華奢[キャシャ]な小僧の居並ぶ両膝一杯にも溜め込んでいながらその行く末の飽和をも見越した上で今まさに躍り上がらんとしたその間際、不意にその「ねこ」を他でもない弧[コ]の私の手によって物の見事に引き剥かれるという至極決定的な移変[イヘン]にも見舞われてしまったがために、もはや為す術[スベ]も無く直[タダ]ちに自失して、見る間にその精彩をも失っていき──哀れ見目麗しきは妙齢の日々、表情らしきものは既に消え失せ、その色の輝きの一切をも「ねこ」と一緒に拭[ヌグ]い取られた形となり、ただ漠として、まるでそちらの方が石膏[セッコウ]で象[カタド]った仮面ででもあるかの如く幽寂[ユウジャク]冷然と据[スワ]った正面[オモテ]には一際[ヒトキハ]目に立つ眼窩[ガンカ]を埋める明暗の分岐そのもののような双眸[ソウボウ]が闇黒[アンコク]を湛[タタ]えつ白眼[ハクガン]の水面[ミナモ]に浮ぶ空虚[ウロ]な満月をも表し出しつ俄に落ちた時の雫[シヅク]の一滴にも揺らいで生じた緩やかな波紋の周縁その兆しが突如音も無く翻[ヒルガエ]り速[スミ]やかに蹙[シジ]まって凝[コゴ]り欠けると、思い掛けず虚実の断りも崩れて、その夢現[ユメウツツ]に臨むでもない円[ツブ]らかに隈取[クマド]られた瞳の中[ウチ]の昏迷[コンメイ]にかかる意の先が何処か渺茫[ビョウボウ]たる淵源[エンゲン]の向きに通じ繋がり延びて逝く時空の連なりをも超えた極限の臨界いわば窮竟[クッキョウ]の到達点への導程[ドウテイ]の如き人間精神の昂進[コウシン]の至り──その果てに有る「何か」、を厳[オゴソ]かな「レイ」として想起させるのみならず死生や物心[ブッシン]有無[ユウム]の別さえも及ばぬ域外[イキガイ]への越境をも暗に示し始めていたその頃にはもう、彼女は「ねこ」も哭く自身の重さすら失われた時の中で異にもたじろがぬ腰骨を軽々とその座から上げ了[オ]えて仕舞って降り、他に思うところもないような二足直立の姿勢を支持したままで問うに微動だにすることはなく、それは何かを待つような構えにも見えて、底には幽[カス]かな寂黙[ジャクモク]の気配があり、しかしそれはまた入滅よりも明らかな幾多の喪失、その余韻を胸中に、密に祕[ヒ]め出したのだとしても狼狽[ウロタ]えぬ、不動心の様相を呈していた。


to be continued…